
「ティファニーで朝食を」(オードリー・ヘプバーン)
これはトルーマン・カポーティ原作を映画化したものですが、
トルーマン・カポーティはマリリン・モンローでの映画化を希望していたそうです。
また映画は、小説と違う結末なんですよね。
カポーティはこの映画に満足しなかったそうですが、
私も先にアメリカン人作家カポーティの小説「 ティファニーで朝食を」を読んだために、映画にちょっと違和感を感じました。
先に小説を読んだとき、
オードリーヘプバーンが主役の映画の原作だと知っていましたから、
可憐な妖精オードリーを想像しながら読んだんです。
でも小説の主人公ホリーは、
オードリー・ヘップバーンよりもはすっぱな感じがしました。
はすっぱで、ミステリアスで、
何を考えているのか、よく理解できない女性に映りました。
しかも最後は、ブラジルへ旅立ってしまうんですよね。
そしてその後はどこに行ったかわからない・・・
と、終わるんです。
小説を読んだとき、
どうやってこれをオードリー・ヘップバーンで映画化したんだろう?
とハテナマークがいっぱい頭に浮かびました。
カポーティが、マリリン・モンローを推薦した気持ちがわかりました。
マリリンモンローの方が、はすっぱな感じが出ますからね(笑)。
さて、
小説を読んだ跡で映画「ティファニーで朝食を」を見たら、
また違和感が出ました。
ラストシーンのハッピーエンドがフシギだったんですよね〜。
だって直前まで、
結婚する予定のブラジルのお金持ちホセと合流する、
しかしタクシーの中で破談がわかると、
それでも一人でブラジルへ行く、
ブラジル行きの飛行機に乗ると言っていたのに、
なぜ、貧乏作家と結ばれたのか??
ホリー(オードリー)でもなんでもない、
名なしのたった一人の女性だ、
とホリーが叫んだのに、
「生きるのがこわいんだ。
自分という檻(おり)からは逃げられない」
と言われて、その貧乏作家とすぐに結ばれるなんて・・・。
なぜ?
どこに惹かれたの?
と言う感じだ。
金持ちの男ばかりを狙っていた魅力的な女だったのに、
だからこそ、
原作どおり、貧乏作家など捨てて、
一人でブラジルに旅立つほうが似合っていると思った。
マリリン・モンローだったら、ブラジルに旅立った方が似合っているんだろうなあ。
きっと、可憐なオードリーヘプバーンだったから、
ハッピーエンドという結末にしたのだろうと思う。
小説と映画の両方を見て、
トルーマン・カポーティが描きたかった世界がやっと自分で理解できた気がしました。
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